代表あいさつ、注文住宅、市川工務店|神奈川県 横浜市|㈱市川工務店

大手に比べて30%安くなる家づくり 我慢しない注文住宅 24坪の床面積で35坪の暮らしを実現。 家は暮らしを楽しむための基地。 大切なのは「どれだけ暮らしを楽しめるか」ということ。 「スキップフロア」の魔法にかかると、どんな限られた敷地でも驚くほど豊かに暮らせます。

代表あいさつ

代表あいさつ

■大工の2代目として生まれて

市川工務店は昭和20年の終戦直前に創業した会社です。
創業した当時の横浜は焼夷弾で焼け野原でした 。その状況下、大工の修行をしていた父は初めてお客様の家を建てさせて頂きました 。品薄な時代背景の中、古い材木に鉋(かんな)をかけて木材を再生することから始まった家づくりでした 。

大工をしながらアメリカ進駐軍でも働いていた父は、大型のトラックを軍からチャーターしては材木などの資材を運んだそうです。
終戦となり横浜の復興に活気がわくと、市川工務店の家づくりは段々とお客様からお声をかけられるようになりました。

私が子供のころの昭和40年代は地方から出稼ぎに来られた30人ほどの大工が寝泊りをしていました。

その頃の私の遊び場は下小屋と呼ばれる大工が材木を加工する作業場でした。
プロが使う道具は切れ味が鋭く、ちょっと触っただけで怪我をしてしまいますから触ることは許されませんでした。しかし、こっそりと触らせてもらい、余った材木を使いながら大工のまねごとをして遊んでいたのです。

そのような子供の頃の体験があり、大人になったら大工になりたいと、自然に思うようになっていったのです。

■高校卒業後、父に弟子入り。そして夜間大学で建築学を学ぶ

中学、高校時代は、休みの日は父の手伝いをしていました。そして高校卒業後、市川工務店に弟子入りし、夜間大学で建築学を学びました。

大工の修行の1年目は、道具に触らせてもらえることはまれで、掃除・荷上げ・手元などの補助作業が主でした。2年目になって、ノミやのこぎり、かんななどの道具を使わせてもらえるようになったのです。それでも手とり足とり教えてもらえることはなく、「自分で見て覚えろ」式の教育でした。
修行時代に厳しく教えられたのは、「あいさつ」です。それはお施主様や仲間だけでなく現場の近所の方も含めて、お会いする人全てにキチンとあいさつをするということです。「人との接し方が出来なければ技術は身に付かない」というのが、親方(父)の基本的な考え方だったようです。

大工の仕事をしながら、大学にも通いました。大学生活に興味があったということもありますが、技術と同時に知識を学びたかったからです。
大学在学中は、朝8時前に現場に行き、夕方5時まで仕事。その後夜7時から11時まで大学で勉強、家に帰って寝るのは日にちが変わってからです。大学へは作業着で通いました。
今思えば、若かったからできたことだと思います。しかし仕事と勉強を両立させることで、建築に対する技術と知識を身に付けることが出来ました。

■大学卒業後、ゼネコンに就職

大学を卒業後、ゼネコンに就職しました。大学で学んだ鉄骨や鉄筋コンクリートの建築知識を実際に経験したかったからです。大工としても一通りの仕事が出来るようになっていましたから、木造以外の建築技術を身に付けたいと思ったのです。
また、当時の市川工務店は大工仕事以外にも公共の仕事もしていましたから、この経験はやがて自分の会社のためにもなるということもありました。

ゼネコンに在職中は、マンション、学校、病院、動物園などさまざまな建築を経験しました。
最終的に5年間お世話になり、市川工務店に戻りました。

■私の理想の家

大工として木造建築を学び、ゼネコン時代に鉄筋・鉄骨コンクリートの建物を建ててきました。それぞれ長所はありますが、やはり私は木の家が好きです。和風・洋風のデザインにこだわりはありませんが自然素材を使った家にあこがれがあります。

市川工務店は自然素材や木を使った「家づくり」を手掛け、木を愛し木造を得意としている住宅建設会社です。

人間に優しい材料を中心にお客様ひとりひとりに合った住まい造りを提案させていただいています。

また、昭和20年の創業より、現在まで営業させていただけたのは、地元にお住まいの方々のおかげだと思っています。お世話になった方々にお役に立てるように、「住まいの事なら市川工務店に」という関係を築いてゆきたいと考えています。
大工は住まいのプロフェッショナルとして、自分の建てた家だけでなく地域にお住まいの方の家を生涯守り続けるものです。市川工務店もそのような存在であり続けたいと思っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
私の考え方にご賛同いただけた方は、ぜひご連絡ください。ともに楽しんで家づくりをしましょう。